FF7小説

プレイヤーはラスボス攻略まで、に専念してクリアを目指します。途中のムービーなどの話は見つつだが、大半の時間は戦闘シーンにつぎ込まれます。ゲームとして楽しみます。
今日V-JUMPが企画したFF7のプロローグが届いたんですよ。んで、本の後半にACまでの2年間が題材の小説があるんです。ティファ編で思ったことがありまして。
私らプレイヤーがゲームで進めていた話が、登場人物の視点側からだと人生そのものであって・・・って書いてて恥ずかしいけど。シナリオ担当の野島さんはいい書き手ですよ、といいたいの。
人が死んでいなくなる、って現実世界でも当たり前のことですね。突然とか自然にとかいろいろあるけど。その死んでしまう人の死の直前に関わっていた自分と今生きている自分を責めた経験が登場人物たちと同じような、同じじゃないけど、似た感覚だなって思って。野島さんの表現の仕方に共感した部分というか。うん、思い出されたんです。今は苦しまないようになったけど。
亡くなる数十分前に関わった私が、あとほんの数秒だけでも関わった時間を早いか遅いかさせていたら死ななかったのではないか、という過去があって。この経験が7年、8年か、苦しめてました。人間生きていたら関わった人の分だけ死にまた関わるものですが、さすがにこのことは苦しかった。初めてまじかに接する、左右させたかもしれない「人の死」だったから。関係した自分は何なのかと、生きてていいのかと、圧力を感じて生きていくのも苦しかった。鬱ですね、このときから数年。クラウドの表現に近かった。(空想世界ものを出すと薄っぺらく感じるけど、私は真剣です)けどなんとか生きていくしかないんだよね。それしかできないもの。そのあと同時多発テロと戦争と大学の恩師の突然の死と、揺らいだ時があったけど、今は仕事の忙しさのせいにしてるだけかもしれないけど、こうやって誰かに言えてる時点で整理できてるんだと思う。死に慣れることはないけど、ちょうどACに会ってまた整理できたかな、って思いました。